トップページ ラジオ 歌謡ラジオ「午前0時の歌謡祭」 第52回放送 「音楽プロデューサー・田村充義を迎えて(前篇)」

第52回放送 「音楽プロデューサー・田村充義を迎えて(前篇)」

第52回放送 「音楽プロデューサー・田村充義を迎えて(前篇)」

<2020.3.15 OA>

オーガナイザー:濱口英樹(歌謡曲愛好家) 

これまでにも多くのヒットプロデューサーから楽曲制作に関する貴重なエピソードを伺ってきた『午前0時の歌謡祭』。3月はオーガナイザー濱口が2018年に出版した『ヒットソングを創った男たち 歌謡曲黄金時代の仕掛人』(シンコーミュージック)にもご登場いただいた田村充義さんをゲストにお迎えしました。
1974年、ビクター音楽産業(現・ビクターエンタテインメント)に入社された田村さんは営業を経て76年に制作セクションに異動。以後、スペクトラム、山田邦子、桜田淳子、小泉今日子、とんねるず、嘉門達夫、広瀬香美など、数多くのアーティストでヒットを連発。97年に独立し、音楽制作会社「田村制作所」を設立してからは、フリーの音楽プロデューサーとして、ポルノグラフィティ、SMAP、坂本真綾、大竹しのぶ、井上ヨシマサらの制作に関わられています。
番組では40年以上にわたってあまたのヒット曲を送り出してきた田村さんの足跡を時系列で紹介。第一夜となる前篇では昭和期(~88年)に田村さんが手がけたアーティストや楽曲をお届けしました。


01.「まっ赤な女の子」小泉今日子(1983)
作詞:康 珍化 作曲:筒美京平 編曲:佐久間正英
田村さんが2代目ディレクターに就任して初めて手がけた5thシングル。初代ディレクターが制作した前4作よりもポップな路線にシフトし、オリコン8位のヒットを記録しました。担当するにあたり、松田聖子・中森明菜に続く3番手を狙おうと考えた田村さんは他のアイドルと差別化するために、常に変化を持たせて目立つことを企図。本作以降、キャッチコピー的なタイトルのシングルを次々と制作し、キョンキョンをトップアイドルに押し上げます。

BGM.「夕だち日記」古賀栄子(1978)
作詞:杉山政美 作曲:筒美京平 編曲:船山基紀
76年、文芸部(のちの制作部)に配属された田村さんはしばらくの間、先輩ディレクターのアシスタントとして様々な歌手の制作に携わります。オーディション番組『君こそスターだ!』(フジテレビ系)でグランドチャンピオンとなった古賀栄子もその一人(メインディレクターは当時ピンク・レディー、岩崎宏美、太川陽介らを担当していた飯田久彦)。本作は彼女のデビュー曲で、もともと太田裕美のために書かれた作品の歌詞とタイトルを替えてリリースされたカントリー調のナンバーです。

02.「イン・ザ・スペース」スペクトラム(1979)
作詞:宮下康仁 作曲・編曲:スペクトラム
日本のブラスロックのパイオニアとして79年に結成されたバンドの2ndシングル。テクニクスのコンポーネントステレオ「SPACE-7」のCMに起用され、彼ら最大のヒット曲となりました。田村さんは当時、別のバンドの打ち合わせのために当時スペクトラムが所属していたアミューズを訪問。そこで彼らのデモテープを耳にしてその音楽性に惚れ込んだことがビクターからのデビューに繋がりました。

03.「YA・KI・MO・KI」コスミック・インベンション(1981)
作詞:星川スナヲ、くら美あきら 作曲・編曲:小田啓義
中学生主体のテクノバンドのデビュー曲。もともとボーカル兼ドラムの森岡みまを中心とする、シンセサイザーのデモンストレーションバンドでしたが、榊原郁恵「ROBOT」(80年)のバックバンドとしてNHKのオーディションを受けた際、同じオーディションを受けたジューシィ・フルーツに同行していた近田春夫の目に留まり、その話を聞いた田村さんによってデビューを果たします。同バンドは82年に解散しますが、作・編曲家や音楽プロデューサーとして活躍する井上ヨシマサ(当時は“井上能征”)や、のちにTo Be Continuedのメンバーとしてデビューする音楽プロデューサーの佐藤 鷹(当時は“佐藤克巳”)らが輩出しました。

BGM.「邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)」山田邦子(1981)
作詞:山田邦子 作曲・編曲:渡辺直樹
スペクトラムの渡辺直樹が作・編曲を手がけ、オリコン30位まで上昇したデビュー曲。田村さんにとって初のオリコン左ページ(50位以内)のヒットシングルとなり、「ひょうきんベストテン」では見事1位を獲得しました。山田は当時、素人参加番組でバスガイドネタを披露し、人気を集めていましたが、田村さんはスペクトラムの5thアルバム『SPECTRUM BRASSBAND CLUB』(81年)収録の「遠足ロックン・ロール」のバスガイド役に彼女を起用。その評判がよかったことがソロデビューに繋がりました。

04. 「邦子のアンアン小唄」山田邦子(1982)
作詞:伊藤アキラ 作曲:大瀧詠一 編曲:渡辺直樹
大瀧詠一が78年、演歌歌手・小高恵子のために書き下ろした作品をリメイクした3rdシングル。オリジナルは小高が突然引退したため未発表でしたが、大瀧プロデュースのアルバム『LET’S ONDO AGAIN』(78年)には伊集加代が“山形かゑる子”名義で歌った「アン・アン小唄」が収録されています。先行発売された1stアルバム『山田邦子ファースト』(82年)には演歌調に歌うバージョンが収録されていますが、シングルではシャウトしまくる歌唱を聴かせます。

05.「快盗ルビイ」小泉今日子、大瀧詠一(2002)
作詞:和田 誠 作曲:大瀧詠一 編曲:大瀧詠一、服部克久
はっぴいえんどファンだった田村さんはディレクターになって以来、大瀧詠一に何度も楽曲提供のオファーをしたそうですが、それが初めて実現したのが本作でした。88年に公開された和田 誠監督・脚本、小泉今日子主演の映画『快盗ルビイ』の主題歌を制作するにあたり、映画好きの大瀧に相談したところ、提供を快諾。作詞は大瀧の推薦もあって監督の和田が手がけることになったといいます。小泉の26thシングルとして発売された本作はオリコン2位をマーク。今回は2002年発売のベスト盤『KYON3~KOIZUMI THE GREAT 51』に収録された大瀧とのデュエットバージョンをお届けしました。

BGM.「窓」桜田淳子(1982)
作詞・作曲:犬丸 秀 編曲:青木 望
田村さんは82年、女優活動に重心が移りつつあった桜田淳子の4代目ディレクターに就任。2枚のシングルと1枚のアルバムを制作します。本作は同時期に田村さんが担当していたカンツォーネ歌手・後藤啓子が80年に発表したアルバム『サガンはお好き』(のちにシングルカット)に収録された曲のカバー。ミュージカル女優としても評価を高めていた当時の彼女に相応しい作品として、事務所からの要望もあり、37thシングルとして発売されました。

06.「眉月夜」桜田淳子(1983)
作詞:茅野 遊 作曲:小椋 佳 編曲:奥 慶一
「窓」に続く本作は38作目にして今のところラストシングル。直後にリリースされた15thアルバム『ナチュラリー』にも収録されたミドルバラードです。制作にあたって田村さんは、「しあわせ芝居」(77年)などの中島みゆき作品で成功を収めていた彼女に、違う面から大人の女性の内面を表現してもらいたいとアプローチ。その結果、小椋 佳から提供された曲に、やはり小椋サイドから紹介された茅野 遊(シンガーソングライターの宮原芽映のペンネーム)の詞が付き、アダルトなムード漂う本作が誕生しました。

BGM.「一気!」とんねるず(1984)
作詞:秋元 康 作曲・編曲:見岳 章
とんねるずにとってビクター移籍第1弾、通算3作目のシングル。オリコン19位まで上昇し、彼ら初のヒット曲となりました。もとはといえば、田村さんが大澤誉志幸のコンサートに行った時、アンコールで缶ビールを持って出てきた大澤に対し、客席から「一気!」コールが巻き起こったことが企画の原点。「体育会系で学ランの似合う、ガタイのいい歌い手」という条件にとんねるずがハマったことで成立した「企画ありき」の作品です。

07.「雨の西麻布」とんねるず(1985)
作詞:秋元 康 作曲:見岳 章 編曲:高田 弘
ビクター移籍第3弾にして初のTOP10入りを果たした5thシングル。田村さんはサザンオールスターズが3rdシングル「いとしのエリー」(79年)で評価を確立したことを念頭に、「3作目は(前2作とは趣を変えた)バラードで勝負したい」と考え、コーラスにクールファイブを迎えたムード歌謡風の本作を企画したそうです。結果はオリコンで5位、TBS系『ザ・ベストテン』では2位まで上昇する大ヒットとなりました。

08.「The Stardust Memory」小泉今日子(1984)
作詞:高見沢俊彦、高橋 研 作曲:高見沢俊彦 編曲:井上 鑑
小泉今日子の初主演映画『生徒諸君!』(84年公開)の主題歌に起用された13thシングル。前年に「メリーアン」(83年)でブレイクしたTHE ALFEEの高見沢俊彦からの提供作品で通算4作目のオリコン1位を獲得しました。田村さんが担当ディレクターに就任して以来、歌い手本人のキャッチコピーを思わせるタイトルが続いていたキョンキョンですが、本作は映画主題歌ということもあって、ファン以外の層にも訴求できる作品というコンセプトで制作されました。

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