東京レコード散歩 その㉒ 渋谷(前篇)
文/鈴木 啓之 (アーカイヴァー)

再開発が進む渋谷駅周辺。何年か後には新しい姿に生まれ変わる
公園通りにオープンしたPARCOがきっかけとなり、70年代から若者の街へと変貌を遂げていった渋谷。その後は109のオープンをきっかけに若い女性が増え、やがてギャルの本拠地となるに至って、残念ながら大人には居心地の良い街とは言えなくなってしまった。それでも個人的には仕事場と家の通り道にあるためほぼ毎日利用している駅でもあり、そこそこの頻度で滞在して結構な時間を過ごしている。その大きな理由のひとつはレコードショップが充実していること。ディスクユニオンやレコファンに代表される中古店のみならず、新宿とその勢力を分け合うタワーレコード渋谷店、駅前にはもちろんTSUTAYAもある。久しく不在だったHMVも少し前に出来た宇田川町のレコード専門店に続き、この度ブックストアを主体とした新店舗がオープンして本格的に復活を遂げた。ここ数年でも、東急文化会館がヒカリエとなり、東横線の駅が地下化、東急プラザの閉館などだいぶ変貌を遂げてきたが、駅周辺はさらに再開発が進み、何年か後には新しい姿に生まれ変わる。昭和の渋谷を体感出来るのは今のうちだ。

昔のまま残る貴重な建物
それでも、渋谷の玄関口であるハチ公前広場からスクランブル交差点を望む風景は昔からそれほど大きくは変わっていない。ハチ公の居場所は何度も変わってきたけれども。東急東横店を背にして左前方にある二つのビルは、テナントは入れ替わっても建物自体は昔のまま。現在1~3Fがロクシタンとなっているビルには、以前“大井”の大きな看板が掲げられていた。渋谷が舞台となった『ウルトラマンA』のアリブンタの回に、よく出来たビルのミニチュアが登場したと記憶する。建て替えは時間の問題であろう。スクランブル交差点を渡り、TSUTAYAの入っているQフロントのビルの横からセンター街を歩く。昭和30年代には砂利道だったらしい。昔の東京の写真集を見ると、食堂や喫茶店がぽつぽつと並んだ地味な路地で隔世の感がある。途中から、並行する井の頭通りへ抜ける。現在のフォーエバー21は、かつての「HMV渋谷店」。渋谷系の発祥地であり、毎日のように寄った店だったから、閉店の際は本当に残念な想いがした。通りを宇田川町交番まで進むと、左手に「ディスクユニオン渋谷店」、さらに先のBEAMビルの4Fには、都内最大売場面積を誇る中古ショップ「レコファン」がある。この日もちょっとだけ覗いて、安いレコードを買う。以前は各地に支店があったレコファンだが、今はここと横浜店だけになってしまったのはちょっと淋しい。この前後に地下2階の「まんだらけ」というのがいつものコース。以前は向かいのビルに神戸のレコード店「ロックンロールエイズ」の支店があってよく行ったのを思い出す。

2014年に出来た「HMVレコードショップ」。“MODI”には「HMV&BOOKS TOKYO」

旧「タワーレコード」
通りをさらに進み、右手に東急ハンズの向かいにあるノアビルには、2014年に出来た「HMVレコードショップ」がある。以前はDJ御用達の「ダンスミュージックレコード」だったところ。ちなみにレコファンは以前、ハンズの向かいのビルの4階辺りに店を構えていたと記憶する。現在のサイゼリアは旧「タワーレコード」でこれまた懐かしい。その向かい、現在も「マンハッタンレコード」がある一帯もレコードショップ、殊に輸入盤専門店の密集地で、自分は専ら国内の中古盤を扱う「イエローポップ」に通っていた。同じ場所にある「フェイスレコード」に入ってみる。自分の範疇外のレコードばかりかと思いきや邦楽もあり、勝新太郎のシングルを買う。あとは前から探していた古いサントラ盤なども見つけて意外な収穫であった。
二・二六事件の慰霊碑の横を通って渋谷公会堂へ。つい先頃、ジュリーの公演を最後に長い歴史を終えたホールは、隣りの旧・渋谷区役所と共に静かに佇んでいた。ここでは様々なコンサートを観たので感無量。日本テレビ『紅白歌のベストテン』など番組の公開録画に使われた。映画のロケ地としては、植木等が縦横無尽に暴れ回った『大冒険』が印象に残る。そしてすぐ向かいは広い敷地を誇るNHKである。『紅白歌合戦』などの公録やコンサートが行われている聖地・NHKホールにも立ち寄って記念撮影をした後、老舗のライブハウス「エッグマン」を横目に見ながら公園通りを駅方面へ戻る。路地を入った北谷公園の前に以前あった「ODプレイヤーズ」は、この業界では知る人ぞ知るKさんがオーナーを務めていた中古レコード店で、レコードのほかにも雑貨や洋服も扱う洒落た空間であった。レコード好きで知られる某有名アーティストもよく訪れていたと聞く。公園通り沿いのCOENビルの2階には、かつて「ハンター渋谷店」があり、一時期は足繁く通った。駅からの道のりがかなりの上り坂だったため、夏場などは汗だくになりながらレコードを漁ったものである。数寄屋橋の本店同様、掘り出し物には事欠かない店で、自分の中でシングルの上限を千円と決めていたにも拘らず、様々な珍盤を買えたことは本当に有難い。今でも大事にしているいくつかの盤はここで入手したことを確実に憶えている。

長い歴史を終えた渋谷公会堂。歌謡曲ファンは『紅白歌のベストテン』を思い出す

パルコ開店のた際に命名された“公園通り”
“公園通り”の名は昭和48年にパルコがオープンした際に命名されたそうで、それまでは“区役所通り”と呼ばれていた。自分は全く記憶にないのだが、同行のT氏によれば、80年代半ばの僅か2年ほど、この通りに「CSV渋谷」という、ダイエー資本のオーディオ&ビジュアルショップがあった由。レコード店だけでなく、楽器売り場やイベントスペース、レコーディングスタジオや編集スタジオも擁する、音楽と映像の総合店舗だったという。早すぎた施設といったところだろうか。バブル期を迎えながらも早々と閉店してしまったのは残念な話だ。公園通りがテーマにされた歌というのはいくつかあって、その中の一曲「恋人たちの公園通り」のジャケットの写真がどの地点での撮影なのかを検証するのは本日の目的のひとつなのであった。通りを行ったり来たりした結果、レンガの花壇のフチらしき場所に腰掛けるバックに見える街灯や建物の様子から、おそらく東武ホテルの入り口前であろうと推察して、同ポジになるような写真を撮ってみた。果たしてそれが正解かどうかは読者の方のジャッジに委ねたい。大きな建物などで一見して解る場所よりも、ちょっとした推理を擁する曖昧な場所を探し出すのは、定点観測の醍醐味である。松田優作のドラマ『探偵物語』のエンディングに登場するGAP前を過ぎ、現在営業中の「Cafe MIYAMA」は、数多のアーティストがステージを踏んだ小劇場「ジァンジァン」の跡地。カフェの店内は昔の造りがそのまま活かされた内装で、劇場時代を彷彿させる。都内に店舗を増やしているMIYAMAは「銀座ルノアール」の経営で、ここもジァンジァンが閉じた後しばらくはルノアールとして営業していたが、いつの間にかMIYAMAとなっていた。打合せの出来る喫茶店が圧倒的に不足している渋谷では貴重な存在である。

「恋人たちの公園通り」のジャケット写真の現場はここ

渋谷の音楽の中心地、タワーレコード渋谷店
丸井グループによる新しいショッピングビル“MODI”(元マルイシティ)の5~7階に入る「HMV&BOOKS TOKYO」は、考えてみると、ライバル「タワーレコード」のすぐ向かいのビルにオープンしたことになる。CD産業がいよいよピンチのこの時代、うまい具合に共存して繁栄して欲しいと切実に願う。タワレコ渋谷店は同新宿店と共に、最も頼りになる新譜の大型レコードショップ。中古品を主に扱うディスクユニオン各店と共に、実店舗を愛する音楽ファンの心の拠りどころといっても過言ではない。失われた街のレコード店の面影を追うことに重きを置いているこの連載ではあるが、やはり今あるリアル店舗も大切にしなければならないと痛切に感じる。そんな想いを抱きながら再び駅前に戻ってきた。見慣れた西武百貨店のビルもそろそろ建て替えの時期なのかもしれない。B館の地下には「WAVE」の前身となる「ディスクポート西武」があり、さらにその前には、ポスターや玩具などを扱うムービーショップがあったのを思い出した。映画のチラシ集めが全盛だった時代。そういえば今回歩いたエリアではないが、金王坂の渋谷クロスタワー(旧・東邦生命ビル)には、サントラ・マニアの聖地といえるレコード店「すみや」があってずいぶんと世話になった。あの頃の渋谷は今よりずっと文化の香りがしていた。

西武百貨店B館の地下には「ディスクポート西武」があった
![]() オリンピック渋谷音頭/春日八郎(昭和39年) |
![]() 若い渋谷/山川 純(昭和42年) |
![]() 花のヤング・タウン/ザ・ワイルド・ワンズ(昭和43年) |
![]() 公園通り/GARO(昭和49年) |
![]() 公園通りの情景/神崎みゆき(昭和49年) |
![]() 恋人たちの公園通り/ティファニー(昭和52年) |