人生を左右した、ゴールデン・ハーフ『恋人がほしいの』
文/チェリー
皆様、はじめまして。この度、歌謡曲のコラム「歌謡曲ワンダーランド」を書かせていただくことになりました、チェリーと申します。
筆者のことはすでにご存知という方もチラホラ?いえいえ、そんなに知名度があるとも思えず。ということで、自身紹介を少々。
筆者は『昭和TVワンダーランド』というブログの運営者であり、そこではおもに昭和アイドルについての色々を書き連ねている。すでに開設から10年余が経過し、記した本人が記憶に留めていられないほど、数多くのアイドル歌謡レビューをしたためてきた。また、時にはレビュー主人公のアイドル歌手本人が、コメント欄にご降臨という幸運を授かったことも。幸せ者でございますのう~はい、そのとおり。笑)
こんな筆者が、またもや良縁に恵まれ(注:お見合いをしたワケではゴザイマセン)、遂にコラムニストとしてデビュー!と言えば“響きはtutu”なのだが、現実はそうハイレゾでもないのである。笑)
なにはともあれ、このような立派な場所をご提供いただいたのだから、それなりのモノを!と鼻息は荒い。しかし「気負いすぎるとロクなことにならないわヨ!というご助言をいただく気配がムンムンだったりもする。ならば、いつもの“らしさ”は忘れずに。しかし、この場に相応しい語りとしたく、ブログでの調子とは少しだけ距離を置いてみようかと。
本コラムにて扱うものは、タイトルの如し歌謡曲全般。筆者お得意のアイドル歌謡あり、オトナの歌謡曲あり、一時代を築いたニューミュージックあり。その中でも、ひときわ華やかだった70-80年代を中心にスポットをあてていきたいと考えている。時には息抜き用企画?として、お宝グッズ博覧会なる回をネジこむこともあるかも。笑)
今回は“こけら落とし”のような回となりますがゆえ、まずは自身の紹介を兼ね、筆者が最初に触れた歌謡曲についてをつらつらと。すなわち、歌謡曲における“はじめての味覚(あじ)”についての話をしてみることにする。
その楽曲とは
『恋人がほしいの』 ゴールデン・ハーフ
この曲こそが、筆者にとっての”はじめての歌謡曲”になる。そして、これが筆者の人生を左右することになったと書けば、「なぬ?」っと驚く方も多いのではなかろうか。たかが歌謡曲されど歌謡曲…まさにこれっぽく。笑)
手元の資料によれば、本楽曲収録のシングル盤は1970年8月5日の発売とある。筆者が僅か2歳の頃のことである。かといって、その年齢で本曲を心ゆくまで堪能するには頭の中身が足らず。そこから少し年月を経た4歳頃?そのあたりが実際の楽曲認識地点となる。
この盤のA面に収録されたのは『黄色いサクランボ』で、表題曲は裏面という扱い。A面曲はスリーキャッツのカバー、オリジナルは1959年とたいそう古い。と、すべてを分かっているかのようにエラぶって書いてはみたものの、これら時代の事柄は完全に後追い。しかも、生前のことをとやかく書こうとすると「…のようである」「…だったそうである」と終始するハメになるから、潔くやめておくことにする。何事にも詐称はイケませんよ…だってそれで失敗こいた人が最近はチラホラ。
彼女らは、ハーフ(混血)であることが売り物だった5人娘。リーダーのユミをはじめ、マリア、エバ、ルナ、そしてエリーという構成で、それぞれが外国人の父を持つというフレコミ。タイ人とのハーフ、エリーは、このデビュー曲の発売からまもなくして脱退。以後しばらくは4人体制が続いたが、最終的には3人体制へ。後発ガールグループ群の多くもそう(減ってそのまま、もしくはスタコラ補充)であったが、この意味からも、その轍はゴールデンハーフが残したとも言えるのか?なんでも小山ルミやアン・ルイスもメンバー候補だったそうだが、誰が選ばれたとて、その華やかさに変わりはなかったはず。
さて、『恋人がほしいの』は前述どおり裏面扱いの、いわば、脇役に甘んじた作品。しかし、なかなかの傑作だからあなどるなかれ。作詞ならびに作曲を手掛けたのは、高瀬タカシ氏という人物。そして彼のメロディーを編曲したのが川口真氏である。高瀬氏はこれ以前(1968年)にも、ひとりGSの絶叫歌謡として、泉アキに『夕焼けのあいつ』を提供、スマッシュヒットへと結びつけている。他にも堺正章氏が出演した番組の関連曲や、TV番組『カックラキン大放送』関連のコミックソング、童謡など、それら作品の幅は広い。この時代のミュージックシーンで頭角をメキメキだもの、さぞかし才能豊かな方だったのだろう。
『恋人がほしいの』|テーマ
とりたてて不満もないけれど、なんだかつまらない、物足りないと感じている女の子。この気持ちを分かってくれる、そして抱きしめて愛してくれる、理想の彼がほしい…恋人WANTソング。
『恋人がほしいの」|聴きどころ
1:東芝レコーディング・オーケストラによる、迫力ある演奏
2:グルーヴするベース音、厚みを加えるブラス隊
3:若きムスメ達だが、意外と野太く重厚な歌声
4:SHYとはなんぞや?威風堂々の大胆コーラスワーク
当時の歌番組で『恋人がほしいの』を披露したことはあったのだろうか。映画『野良猫ロック セックス・ハンター』(主演:梶芽衣子)にゲスト出演したものであれば、それを歌い踊る彼女らの姿を拝むことができる。そこではとても貴重な5人体制のゴールデン・ハーフが…あゝ、麗し!
そして『恋人がほしいの』における最大特徴は、A面とは異なる非カバー作品ということ。純粋なオリジナル曲だからレア度も高いのである。と書いたところで、意味が分からないかもしれないので説明を少々。ゴールデン・ハーフが残した楽曲は、それらほとんどが既存曲の焼き直し。しかも洋楽の過去ヒット曲、おもにオールディーズポップスが占めていた。だからこそ、純ニッポン製、いわば、メイド・イン・ジャパンはそれだけで貴重。後にも先にも『おんなの弱点教えます』とこの曲だけが和製、残りはすべてカバーという徹底ぶりだったのである。
そもそもハーフ女子にオールディーズポップスを歌わせるという戦略は、プロデューサーを務めた草野浩二氏のアイディアだと聞く。彼女らの日本人ばなれしたルックス(ハーフなのだから、日本人ぷちばなれくらいは当たり前なのだが)と、それらメロディーが鮮やかなコントラストを描く、絶妙な取り合わせ。後日談として「ハーフではございませんでした」とカミングアウトしたメンバーもいたようだが、今となってはご愛嬌か。そして、この手法は80年代に入ってからも脈々と受け継がれ(例:ヘレン笹野のLP楽曲等)、ハーフ娘のお家芸として伝統化したのだから特筆に値する。
世間一般的には『黄色いサクランボ』の方が人気を博していたのだろうか。レコードジャケットが二面仕様になっているから、どちらがA面なのか見まごう。それこそ、両A面と呼んでも遜色ないデザインなのだ。しかし、幼少の筆者にとっては、冒頭から「ウッフンアッハン♡」とカマすお色気ムンムン歌謡より、リズミカルで親しみやすい『恋人がほしいの』の味覚(あじ)を気に入った。ウッフンアッハンは、そりゃ幼い少年には時期尚早である。なんだか聴いてはイケない…うん、でもアソコがまさぐられるよな~E気持?そして、『恋人がほしいの』のエンディングで連発される、5人一斉歌唱の「ウンっ」というアレ。この「ウンっ」は、幼少期の筆者に、青春を謳歌するお姉さんとはこういうものだ!というイメージを植え付けた。だってなんだか楽しそう…デショ。笑)この「ウンっ」がナニを意味するのかは、未だもってナゾでもあるのだが。”恋人がほしいの”という希望に対し、あいづちとしての「ウンっ」なのか、ひょっとして?笑)
そして、先述した”この曲が筆者の人生を左右した云々”とは一体?
Can you understand for me?
この英文は、『恋人がほしいの』で歌詞の一部として使われていたもの。ハーフを売り物としていた5人娘らしく、1番と2番に少しではあるが、英文が挿入されていたのである。ネイティブに言わせれば、「ここではCan you~じゃなくDo you~が自然だろう」とか「forはいらないのでは?」というツッコミが入りそうでもあるのだが、大阪での万博開催で、ようやく万国旗を掲げた頃の日本人が書いた歌詞だもの、どうかご容赦のほど。とにかくこれこそが、生まれてはじめて目にしたお外の言語…ABCでヨロシク~横文字だったのである。当時の筆者の脳みそでは、これがなにを言わんとするものかは到底理解できず。ただひたすらに、その未知の響きに魅了されたもの。
しかし、以降は英語とは疎遠になる一方。外国人やお外のモノとの縁(ゆかり)には事欠かない家庭に育っていたにも関わらず…である。要は、英語なんて”どうでもいいわ~”な暮らし。それがなんの因果か、25歳あたりで遅まきながらの一念発起となったのである。その際にも、『恋人がほしいの』が脳裏でplayingだったのは言うまでもない。
遠い昔の、あの日によく聴いた『恋人がほしいの』。その歌詞の中に、チョロリと出てきた気になる言語。そして、気づけば日本を飛び出し海を越え、それを第一言語とする国で生活しているではないか!これを因果と呼ばずなんと呼ぶ?うん??人生…どう転ぶか分からないものである。笑)どこか遠くの方で「アナタの場合は”恋人がほしいの“で因果ってるのでは?」と聞こえるような気もするが空耳か?いえいえ、それは因果ってませんのであしからず。笑)
蛇足となるが、昭和アイドルの中にも、持ち歌と因果関係になったという方もチラホラ。例えば、証券会社の会長絡みでスキャンダルまみれになってしまったあの方には、その言葉をズバリ宛がった曲が。また、意味深をしたい~と大胆ギンギン歌謡を唄ったあのコも、出会ったばかりの外国人男性と赤道直下型さながら?発火的な恋の逃避行を。まさに因果と呼ぶべき現象?まぁ、そんな大げさなものではなく、たまたま程度の偶然なのかもしれないが。
それにしても気になるのが、実家にあったゴールデン・ハーフの音盤。その存在理由は、実のところよく分かっていない。なにしろ、両親ともに高齢の身であるからして、当時のことなど“記憶にございません”と言うのである。ゴールデン・ハーフというグループの色合いからすれば、おそらくは父が購入?という図式が脳裏をかすめる。はたまた、幼い筆者がねだった挙句の買い物だったのか。なにしろ、『チョット マッテ クダサイ』と併せて2枚(しかも両方とも赤盤)が、レコード棚に鎮座していたのだから。父がこのテのハーフ娘に興味津々という話は、未だかつて耳にしたことがない。まぁ、父とは言え、ひとりの男である。
もしも父から
Can you understand for me?
と尋ねられたら、ネイティブ的には妙であろうとも、あえてこの形で切り返すつもり。Yes, I can understand for you!その子息が存ぜぬ趣向を持っていたとて、魔訶不思議は一切合財ないのである、ラララララ。笑)
Written by チェリー 24.04.2016