東京レコード散歩 その④ 六本木<後篇>
鈴木啓之 (アーカイヴァー)
再び六本木交差点へと戻る。以前はその一角にあった誠志堂書店をよく待ち合わせに使っていたが、10年ほど前に惜しくも閉店してしまった。今では待ち合わせはもっぱら駅真上のあおい書店が多い。すぐそばには青山ブックセンターもあり、六本木の書店事情はなかなかに充実していると思うが、TSUTAYA以外にCDショップが無いのはあまりにも残念。

「トライアングル・ブルー」跡地
外苑東通りをミッドタウン方面へ歩くと、左側に昨年末で閉館したホテルアイビス、さらに進み、かつてヴェルファーレがあった路地を過ぎた先の舗道沿いに、箱型のダイナーがしばらくの間営業していた時期がある。その店は懐かしいテレビ朝日の深夜ドラマ『トライアングル・ブルー』によく出てきた根城で、店名もそのままにしばらくの間実際に営業していた。今でもこの辺りを歩くと、エンディング・テーマに使われてヒットしたアン・ルイス「六本木心中」のイントロが頭をよぎる。
80年代中頃のテレ朝の深夜枠は熱かった。オナッターズを生んだ『グッドモーニング』に、怪物ランドの『ウソップランド』など日替わりでバラエティ番組を放映しており、その中で現在唯一の生き残りが『タモリ倶楽部』である。当時、今も変わらずテーマソングとして流用されているロイヤル・ティーンズの「Short Shorts」の音源が欲しくてWAVEで探したが見つからず、結局オンステージヤマノで買ったことを思い出す。このステキなレコード屋さんのお話はいずれ池袋篇にて。

オープンしたばかりのライブハウス、EXシアター
『トライアングル・ブルー』といえば、やんちゃだった頃のとんねるずの勢いもさることながら、可愛かずみと川上麻衣子のヒロインの魅力に尽きる。可愛かずみ派だった私は、彼女が主演した『セーラー服色情飼育』というにっかつ映画(平仮名だった時代がありました)を観たいがために劇場へ足を運んだものだった。一緒に行った友人は、彼女の濡れ場が最後の方にちょこっとしかないことに憤っていたっけ。そういえばロマンポルノはこの少し後に「ロッポニカ」と命名されて映画館の名前もそれに準じていたことがあった。当時は六本木に本社があったことかららしい。 そんなことを思い出しながら、裏道を歩いて六本木通りに出て、西麻布方面へと進む。最近オープンしたEXシアターの前を通り、坂を下ってゆくと、地下に「新世界」というライヴハウスが入っている年季の入ったビルがあり、その壁面に掲げられている「三保谷硝子店」の看板がいい味を出している。隣の「綿工連会館」の看板もそれに対抗する感じでなかなかの趣。共に完全に昭和が遺された一画で、どちらも忽然と消え去ってしまうのは時間の問題であろう。こうした物件は気づいた時に写真に収めておかなければとつくづく思う。
映画『キルビル』のモデルになったという「権八」が見えると谷間の街、西麻布の交差点。この辺りまでがギリギリの六本木エリアになるだろう。昔は霞町と呼ばれていたことを知っているのはせいぜい自分らの世代までであろうか。浅田次郎の「霞町物語」という短編が読後感抜群の逸品なのでぜひお薦めしたい。
さて、西麻布といえば、やはりとんねるずである。「雨の西麻布」である。秋元康が作詞家兼プロデューサーとしていよいよ才能を露わにし始めた頃のヒット曲。西麻布界隈は駅から少し離れていることもあってか、業界人御用達の遊び場として賑わった。同じような立地で、世田谷の三宿も業界人の溜り場だった時期がある。いわゆるカフェバーや、ビリヤード台を置いたプールバーが都市部に蔓延っていた頃。カフェバーのハシリは西麻布「レッドシューズ」といわれる。内装を担当した松井雅美は空間プロデューサーとして名を馳せた。自分はディスコにはあまり出入りしなかったが、カフェバーには仕事帰りなどによく行った憶えがある。「雨の西麻布」には、そうした時代の符号は出てこず、バロディソングでありながらも普遍性を持たせようとした秋元の慧眼が窺える。今誰か男女デュエットでカヴァーすれば良いのに。この日は昼間の散歩だったが、後日改めて深い時間に訪れると、西麻布交差点の光景は昔とさほど変わらず、当時からある角のホブソンズもしっかり営業していた。もちろんあの頃のような行列は出来ていなかったけれども。

西麻布交差点の名所ホブソンズ
![]() 六本木心中/アン・ルイス(昭和59年) |
![]() 雨の西麻布/とんねるず(昭和60年) |
![]() 六本木純情派/荻野目洋子(昭和61年) |
![]() 六本木十時軍/杉浦 幸(昭和61年) |
![]() 六本木の夜/平尾昌章(昭和37年) |
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